Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230917

  マスカットと梨がブルーグレーの皿に乗っていました。マスカットは房から半分は取られており残りは数粒で、梨は1/8のサイズが4つでした。家族が残してくれておいたものでしょう。洋梨の感触にも近いやわらかい梨と、少し酸化してワントーン黒がかったマスカットでした。

 「型破り」という言葉にまつわる、「型を破るためには一旦型を習得してから破らねばならない」という言説がどうにも苦手でしたが、なぜわたしがそれを嫌っていたのかがわかりました。昨日友人にも指摘されたことですが、原理がわかるとものを言えるようになります。 以下が所感です。1. 「型破り」の事態のうち「破っているから」おもしろい、という評価もあまり信じられないです。 2. 敷かれたルールや法の関節を外すような「脱法」と「習得」からの「破」という言葉に潜む修行のニュアンスは違うのだと思います。 3. 一度権力構造下に降ってそのなかで地位を得てからものを言え、といった態度に感じられます。 また、わたしにとって第一優先はある種の〈人格〉の模倣であり、たとえばメディウムの形式をきっちりおさめるような意識はいらないということもわかりました。動力を認識することができない状況がもしかしたらあって、ゆえに舞台のトートロジーを繰り返すものたちへの反応は共感だったのかもしれません。