Uyo.x,x,x

kaabii, segway

240426

 日中に日記を書こうと決意したからその約束のために書いている。でも今こうやって、パソコンのキーボードを打って文字を並べるのは、起きてから今までについてを記録するのに(今の私に)よい方法だとは思えない。文字、それが脳に流れる速度は手で書くスピードよりずっと遅い。しかしだからといって、キーボードも脳よりは遅い。結局脳に一番早いのは口だ。これは遅い。

 わたしの日本語は変だ。修飾が変なところにいる。文章の練習試合をずっとやっていたころは、主語がないと言われつづていた。流れる文字に主体などいないからしかたない。それらは流星に似ている。流星を見たことはないけれど。というか、見たことがないからわたしはそれを流星に例えられる。

 明かしたくないものを媒介させるのに、同じ手段は使えないという話かもしれない。文章で、あるフレーズとして報告したいことがあったとき、それを伏せて文章をつくるのは、(よくこの例えを使う)蜂蜜に砂糖をかけるのと同じ。

 日記を書こうと思った理由を聞いてほしい。去年のことをわたしはすっかり、すっかり忘れていてなにをしていたか一切思い出せないのだが、日記を読むと、伏せる前の出来事があったことだけわかる。伏せる前について、何の出来事へ言及しているのかわからないこともある。.......わかった、聞いてくれ、つまり要は、区切りを毎日の入眠部分に置く、そこに線を引くのじゃ断絶の強調にしかならないということではないだろうか?もっとこう、1つの授業に対して予習と復習があるように(予習と復習と受講はすべて違う世界にいるのだが)、そういう、パッケージの種類をわたしは分別すべきなんじゃないだろうか?好き勝手書いている。わたしが好きなテクストとははちゃめちゃでよかったはずだ。

 全然今日の話してないね。

 書くことで忘れることがあると思う。書くことで忘れる。忘れるために書く。どっちが先かわからない。一度考え出したことなら忘れてもきっと沈んだだけだからまた浮かんでくる、と友人に伝えたが、では一度考え出したことをどこかにおいてきたとき、じゃあそれは釣った魚なのか?キャッチ&リリース &リリース