Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230916

 地下鉄のホームにいるからか息が苦しいです。日記で固有名詞をあまりださないのは、もちろん自意識過剰さですが、過剰さでいかように把握することも可能であることを知っているからです。勉強、というか知識をあたらしく知ることは地図が広がるようで本当に救われる心地がします。ノートを久しぶりにとりました。.............水を土に落とした時に、土の色が濃く染みていくように話す人だ.............しれた網の深さの半分しか使えないぜ............友人とごはんを食べました。久しぶりのひとでほんとうにうれしくて、いろんな話をしたし、稀有な人でした。ずっと同じことを言われ続けていたと思うのに、きょう聞いたらはじめてその場所の掟を聞いた子供みたいにわかったことがありました。いや、というよりアレルギー反応がコップ一杯の水で例えられるときのような事柄だったかもしれません。色々反省しました。いま思うと二地点の落差がものすごくありました(☆1)。それぞれへ毒されてはいけないなと思います。最終全然よくはないんですが、ただできないと思っていたスノッブの仕草があっというまに習得されていたようで一旦よかったとすこしだけ思いました。磁場の残穢でもあるでしょう(☆2)。それが判明したので、もう切り返します。ずっと仲良くしてほしいです。

 異常に、横を長辺として、その長辺が異様に長い長方形の視界を持っていて、ゆえに面積内の範囲の技術をわたしが落としたようです。この指摘が悔しかったんだと思います。外骨格が発達して内臓がガキのままいるので、ガキの内臓部分をかわいがってくれよと思いました。さて、ということは、わたしは日記でならば私的との謂れによって外骨格を内臓で動かすことができると判断したのだとわかります。外骨格だけの訓練*1と、外骨格と内臓を並べてみる訓練*2と、そして......ただ経験に晒されるだけに内臓を差し出したりする*3べき......でしょうか。数年前の姿から現在の分離、偏りの状況を教えてくれました。直輸入と直売。作品ができてうれしいのは、言語だけで汲み取れない領域が絶対に存在するからだし、それが言語からの照射だけではなくて他の媒体の視点からでも変わらずそうであるから、だと思っているのはずっと変わりませんが、近距離の配送だけに苦労していても、人数的、かつ、一種くだらない独りよがりであると明確に理解しました。整理すべきは仕事や作業の分離であり隠蔽ではありません。隠蔽ではありません......言い聞かせてください......わけもわからず恥を捨てて突破する機会も必要です......言い聞かせてください......今日の午後、曖昧模糊という言葉を自然に使うところでときめいたはずです......*4......「とにかく分けないんよ 抽象的で、包括的だから」.......———日記の期限は毎日なのが切羽詰まっていていいかんじです。すぐに次の期限が迫って見えます。仕事人だった時代、スケジュールをつけずとも仕事の書類提出期限や用事を忘れない代わりに、自分の未来については翌日までしか考えられなかったことをなぜか今、思い出しました。

 反動が起きます。無理に動かしている部分はあるはずで、しっかりと波があらわれます。決まって弦の音だけを受け付けることがよく起こります。マンドリンクラシックギターの曲を少しずつ聴き始めました。ヴァイオリンのクラシック作曲家から辿るとたくさんあって、それと友人が教えてくれた曲もきいています。

 

*1:純度を上げることだし、厳密さを求められる用法を身につける

*2:比較検討。バリエーションを出して幅さえも演出する

*3:分離させます。もっと素朴な詩が?

*4:(字幕を書く時はなにも考えずに、一読でわかる高度で書きます。そのように、一読の高度があるとするならどこで使うことが最適でしょうか?)