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kaabii, segway

230719

 朝はひどく寒かった。覚醒が早かったのに、いつまでも体温が上がってこなくて気味が悪かった、曇りの日に入る学校のプールの心地に似ていた。(忘れていた、起きたら豆鉄砲のような通知がきていた)一度横になって、もはや外は猛暑だろうからそれに晒そうと思い、起き上がったところからカットを入れずに玄関の外に出たら、唐突でびっくりしたのか、扉を犬が爪で引っ掻いていた。しばらくそこでうずくまっていたが暑さと悪寒が同時にやってきて酔ってしまった。それから二度寝た。反復というのにふさわしいやりかただった。

 酔いはずっとあった。眼鏡をかけると酔いがまわってくるようになってしまって、裸眼で過ごしていた。お肉の皮の脂が照らされて白く見えるのが、眼鏡をかけるといやに鮮明で軽くてかわいい吐き気を催した。本を一冊貸してもらって、ポップな極彩色の夢のような短編集だった。カラフルな石が転がっているファニーな河原の文章で、読んでいてうれしかった。あんまり小説読まなそうだから、といって貸してもらえたこともうれしかった。黄色い表紙。報告をした。大切だったのは報告をして了解してもらうことではなくて、わたしが報告をすること自体だった。モスバーガーのオレンジがはいったサングリアティーがおいしいとTwitterでみたので飲みたくて近くの店舗に赴いたところ、今日だけ臨時休業で残念だった、あした買おう。そこから①参考書の下見をしにいって、いくつかの参考書を選別して、②書店に寄って本を買おうとした。このときにテレビ局のひとに呼び止められました。いくつか本を手に取ってしまって、そして目当ての本は棚に並んでいなかった。店員さん......に在庫はあるっていってたんですけどないですかってきいて、店員さん......に棚の下から在庫を出してもらった。ここで「......」をつけているのは店員さんへの気持ちです。ここでかなり落ち着いている。買ったのは短歌の本が多かった。塚本邦雄全集あつめの旅路がはじまりました。うれしい〜〜〜〜!帰り道に長谷川白紙のインタビュー記事を読んでいました。ご、語調が最初から変わってしまっている。いつもどの形態の発表でもなにかを元気づけられるばかり(単純に体調を応援されているということではない、が、それを含む。明確に調子が抜群になる感覚がいつもある)なのだが、今回も、まさに。

複製芸術が乗り越えるべき問題が「身体」にかけられていると感じるんですよね。......ジョン・ケージが「統合された時間の使用」という言葉を用いて表現していたんですけど、これは非常に重要な視座だと思っていて。わたしの身体が持っている複雑性であるとか、混沌であるとか、撹乱性というものを、その時間の使用によって示す。身体とはすべて複雑なものであるということを、音楽によって提示できるかもしれない、という目的があるんですよね。それが、わたしの背負っている役割のような気がしています。

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 いつだってものすごく前向きに世界を体験すること、勉強することの素晴らしさを思い出させてくれます。引用が灰色の線で起こるんですね。ふむふむです。日はもう暮れていたが、それでも歩くと帰宅する頃には汗がびっちょりでお風呂にはいって、そのあとに夜ご飯で用意してもらっていた冷やし中華を食べた。友人とすこし電話した。8と書かれたコアラのマーチを食べた。昨日の日記には5のマーチが登場していたはずだ。