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kaabii, segway

230822

 書く場面が傷ついてしまいもうかけそうにないのでここで書きます。友人と会う予定があって、いつもの電車の中途を最終地点として向かいました。店内のいちばん奥の席へ案内されました。お子様メニューは頼むことができず、「蒸し鶏の」からはじまる麺を注文しました。友人が頼んだものも「蒸し鶏」からはじまるメニューで、クイズで決め切って解答ができないのでおてつきをしました。ずっと話したいことを話せてとてもうれしかったしたすかりました!ありがとうございます。楽しかったです。それから座席のないタピオカ屋さんを諦めて勉強がしやすそうなミスドに移りました。さつまいもドが始まっていたので蜜いもド(罠ではなくプレーンなもの)を4つ買いました。3つは持ち帰りです。ここでも店内のいちばん奥の席に座っていましたね。雨がそこからずっと不安定で、ズボンがグラデーションで濡れた人をみました。エアコンを消して空気が停滞した部屋にいて、気温にかかわらず死んでしまいそうでした。うずらの卵の殻を割るためのはさみがこの世には存在します。気が付いたら気絶していて、起きたら日付をまわっていてもう眠れませんでした。

 

 

 以下は暗い話で、死についての話題をします。負へのエネルギーを摂取してはいけないときは読まないでください。閲覧注意です。

 

 

以下、自殺にかんする内容を含みます。フラッシュバックのおそれがある場合、調子がすぐれない場合、閲覧を控えてください。

 

 気を抜いたら死ぬと思います。自殺のイメージが自分のなかのムーブメントごとに変わります。たとえば3年ほど前は結束バンドで首を絞めるイメージがずっとありました。そのあとはその希死念慮に似たもの自体がずっと大きくなってしまい、ギロチンの、断頭台のクローズアップがイメージとしてよく浮かびました。長い板状の刃物が頭と胴体を切断するイメージです。肉体が、とくに血がここからでてくるわけではなくて、肌色で少し水分を含んだオブジェクトがどうにかなるイメージたちでした。それから少し時期をあけて、駅前の階段横でコートを着てブーツを履きながら倒れているイメージがありました。ブーツが不恰好にみえて、ヒールの裏の部分がみえます。これは冬のイメージなのが自分でもわかります。それからまた時期をあけて、次は部屋の中で腐るイメージがよく浮かびました。これも肉体の腐食がイメージされたのではなくて、薄暗い部屋と人の、それだけのいつもの風景を死と直結させていました。今は時折腹に果物包丁くらいのサイズが刺さってドット状の血がしみている場面がイメージされます。これは昔ほどよく、ではありませんが。死への意欲が噴き上がることは今はありません。が、しかし、統べたゲームからいつ降りてももういいかと思う瞬間が最近本当に多く、すくなくとも屍にはすぐなってしまい、そう、というか、なっていることがあります。ハハ わたしの状態として、たとえば他に向ける愛や感情が、すべて退屈であるときほど淡々と語れるときはなく、まちがいなく正気な気がしてまずいなと思います。ガン醒め。一種窮地のときの友人をみて全部わかったんだろうか、と羨ましく思ったことがあったし、それは今書いたイメージたちの最初のものが成熟しているあたりの出来事、暗闇へ投入されたのと同時期でした。私の場合、このすべてのシャッターが降りているこれがその状態なのかもしれないです。分別くらいついているので、さっさと、     としごく冷静な様子で思います。沿岸からの誘惑が距離と障壁を超えてこちらを見据える時だけ、だけに賭けが潜んでいることもわかっています。実際的な問題は心配しなくても大丈夫です、きっと。それは自分でわかります。本当に本当に、いつも誤魔化してくれてありがとう。ダメな人の書き方なんじゃないかな?あはは