Uyo.x,x,x

kaabii, segway

231011

 書くことが無味無臭に思えて寝ようと考えていましたが、これも作業のひとつだと思ったので書きます。10月の11日です。

 服のわけがわからなくて、去年一度も着なかったらしい少年のようなトレーナーとジャージのズボンを選びました。荷物をカードと携帯だけにして出かけようとすると成功率が高い、という法則があります。今日は、それを思った上で手持ちから二番目の鞄ででかけることとなったので、僥倖です。かなり。場所についたら人が寝ていました。

 すごく全部が面倒で、なにひとつとして楽しいことはなくて、そうか。人がいて会話があって、それが楽しかったです。つまり一緒に制作するとか共同作業とかって、実際の仕事の合併を指すのではなく空気を動かすための呼びかけなんだと思います。楽しくもなかったし取り立ててめざとい収穫だ!という気分にはなりませんがよい時間でした。途中でマジで帰ろうと13回くらい思いましたが。(結果、その苦しみも含めてよかったというわけではない、とこれをあえて分断しておきたいと思います。)

 夕刻、図書館で読もう、と決めていた長い小説を手に取り、しかし外があまりにもすばらしい気候で、あの図書館のカーペットに晒され続けるのは惜しくなってしまい、結局借りてきてしまいました。古本屋にも寄り、特価のを買いました。特価ではないものに関しては、えー、踏みとどまりました。危なかった。歴史を楽しむことってほんとに底なしです。どんどん大所帯になっていく会議に参加して、英語の勉強をしました。今、端的な学習がマジで憩いで、英文読解がたのしすぎておもしろ〜〜〜!!!と言いながらソーダを開けました。プシッ 小説の序盤の展開を覚えておらず戻ったら、繰り返されているテーマに気がつきました。

 マリオのステージのように、複雑さの把握がある程度階層化されているとしたら、わたしは序盤と終盤のみに注力し過ぎなのかもしれないと気付かされました。なんというか、14歳の時期の感性たちがスルーされるという方向で時間を過ごしていたように思うのです。むしろその時期がわたしは一番旅人だったかもしれません、ピンクの海老  |     そう考えると、高低の幅の広い棚の間には板をもう一枚薄くとも用意してみたほうがつごうがいいかもしれないし、離れたシークバーなら曲線を書いてやればいいと思いました。スルーしたのは、そこが(ジェットコースター)目を瞑る場所だからかもしれないです。なんーか もしかすると 学びが......学びが多い......!