Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230625

 日記ばぶよ〜 ハッ すみません。脳のどこか、興奮物質が出ている管が半開きのまま寝たしそのまま起床して、そのうえで極悪(ごくわる)の体調だった。時間の準備、は執拗にかけたのにつかめる形が無くて卒倒しそうだった。マジででかけるか本気で悩んだが、行った。し、発表を、した。ただずっと、やっぱり頭の内地が灼熱へ晒されているようだった。変だ。途中で友人と電話をして、なんかこれもずっと悪夢みたいな話を聞いていて、しかしそれで変に気分は落ち着いた。なんか蟻が湧くIH(?)の話とアメリカの月9の話を聞いた。それから作品の発表をした。なんだこの書き方 なんだこの書き方 いやなのじゃが じゃがねえ.............日の記録として絶対に欠かせない要素を書こうとしたとき、これが公開されるひとつの形態となるのだという把握がそれを押さえつけてしまう。さて。しかしなんだか、本日はここさいきんの締め切りそのものだったわけで(わたしは締め切りこそを世界破壊の日だと思っている節があるのだ)、期、章、とまではいかなくても、節、いやきっと一章ぶんにはなるだろう、そういう分量が過ぎ去ったように思う。なにかが怒涛であった。たしかに。苦しくてもやる、とノートに残っている。そういった類の覚悟ができた日だった。段階、だからステージはあって、わたしは先に言われていた方方からの指摘について、今目的が終わってから諒解した。集会失敗。久しぶりに絵を描いた。集会成功。予定確認。言葉のひとつひとつに敏感になるには、スピードではなくて指差し確認みたいなものが必要なのだと知った。素直なことというのを言えない素直さを晒すことができるようになってきた。いやあの、全然ほんとにあの、あの苦しくて、そういうのは忘れないって言っただろうが 直観しか信じていないかもしれない。そういえば今日は妙に人に報告したくなってしまって、きっと成長だろうなとわかった。ふうむ もう少しそうですね、結果と反省と考察みたいな感じではなくこう、観察の部分を記録したいものですが。ああそうですね。わたしもそう思います。つかれてあんまりかもしれぬ ヴェイユが疲れるとなんも考えなくなっちゃうよ〜みたいなこと言ってたの思い出す そうですよ、わたしは......いやこれはもういいだろう、わたしたちは最初物語の視聴者としてただそれだけとしている状態にしか安らかでいられなかったということを、昨日と今日で何度か触れました。未来に眠る陰湿さみたいなものが、あのお迎えの保護者の列、知らぬ間に暗くなっている外へ出る時の判別の視線からよくよく伺えたのかもしれないです。原体験や原初のものとして何かひとつを設定するのは少し怖いです。いつも。いつも1人では恐ろしいことばかりだと思います。ではなく、ひとつの投影の記憶だと思った方が適切だろうと思います。紙袋を持ち歩いたら持ち手の紙が人差し指の第二関節と手のひらのあいだの部分に擦れて、お風呂で滲みました。擦傷をすることはほとんどなくなりましたが、こういうのでずっと傷つき続けるのでしょう。それはただ痛いだけではないことです。話してみたい人がたくさんいます。わたしはパフェを食べるように作っているようです。