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kaabii, segway

230818

 屍と殺意を用意してから脱落しました。浮上したさいにはしかし殺意がもうなくなっていて、そればかりか、でありました。死ななくてすんだと思っていたら死んでいました。目を開いていられる時間についての危機です。1.2.3を数えました。今、諦観の3カウントのことを思い出しました、言葉の最初のアタックではなくて母音を膨らむ曲線で歌う人のことです。浮遊への情感もそのハーモニカの音で用意されていたかもしれません。今日を含むここ数日、そしてこれから数日、あるパッケージングされた時間のなかに入室してみており、それは約一週間の、ぴったり一週間の七日ではないのが妙だと思っていますが、その程度の拘束のパッケージングの、毎日のノルマを達成したのちに心が軽くなっていることに気がつきました。にしても可処分時間のリソース奪いという諺がよく似合います。これは今作られた諺です。それから、やはり誤魔化されていたこともわかりました。中心部の結晶化が起きている石の部分、きっと宝石のようになっている部分のみを手で掬おうとみながしているように思えてきました。我々には、砕かれた破片の煌めきを見出す習慣があるのです。てか友人が日記をかきはじめていることを知って、無性にうれしかったです。久しぶりに鋼の甲の亀に会えました。原文ママです。検索避けの儀式を行わずにここに載せられるのやばすぎです。長老になった鋼の甲の亀は養子にアカピッピミシミシガメをとったようです。こちらも原文ママです。疑惑だけで仕上がっている視点からの考察は、その記録を保管する場所さえ悩みます。

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