Uyo.x,x,x

kaabii, segway

231016

 友人が葉を生やしていました。脳を破壊されていて世界が変わってしまっている、と友人に相談したら、その事態と今やっていることたちは別だ、と言われ、徐々に落ち着いてゆきました。しかし、ある別の世界へ没入しているときには淡白な希死念慮が前景化してくるのことを久しぶりに思い出しました。この希死念慮は、なんというか、乾いたやつで、パッサパサのやつです。時代はインターネット・シュルレアリスムです。同じことをずっと言われています。作品や主張に対象がみえないというのは逆転して、対象しかそこには存在せず、行為者がいつもいないということをあらわしているのかもしれません。(じゃあ誰がそれをやるんだって話で) 注意は坂向きに逆走させてみることにします。厳密さを自分に許したことがもはやないのではないのだろうか、という気さえしてきました。自分のことが一番自分に手に負えないのかもしれません。いつもその場所で R.I.P

 歩いて移動したかったですが、時間の都合で自転車に乗りました。目まぐるしく表情を変え続けるものだけがわたしを退屈させない、という判断をよく行なっているのだと思いました。あんまり覚えていませんが、暗闇へ行きたくてたまらない時間帯がありました。電子レンジであんまんをチンしたら破裂させてしまって、ラップも熱で四芒星へ変形していました。白い皮からはずっと黒い胡麻あんがでていて、思いのほかグロテスクでかわいらしい色[、経過したことがわかる血の色と同じ]で嬉しかったです。このごまあんの色が犬の毛の色に似すぎなので、しばらくこのこのことはごまあんと呼ぼうと思います。