Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230925

 というわけで起床は8時に叶いました。4時ほどに一度起きて、部屋のドアを開けました。犬が起きてと言ってきたためです。またこの時間のことを覚えていません。書くこともないので構いませんが。ただ、夕刻にこの状態の容認さえできたらいいと思いました。鬱の底に没入する渦中にその容認を意識するのはきっと錠を外すようで難しいし、駆け引きなのだと思います。むかし友人と「なにもできない時間」について話した際、わたしは無為さえ作動しているかもしれない、と言ったことがありましたが、当時のわたしは無為が休息として許される小さな檻のなかにいたのだとわかりました。AppleMusicの画面を開いた時に目についたのか、ゆらゆら帝国「空洞です」を聴き始めていました。中学生の頃のわたしは/風景を写像させようとする意識と/合奏の練習のあいまで/いたことを/美術室へ赴き/取り扱い方が一切わからない/森の坂の絵を描いていて/リフレインする「できない」という文言が付き纏われて/油彩で/夏休みに/思いだしました。わたしはその絵も好きではありませんでしたが、今はそこまで悪い絵ではないように思います。ダダ漏れているのは諦念のそれでしょう。振り付けを行えば一度だけ服役から解放されるという条件が提示されていたかもしれません、そのようになりました。重いものは持てず、わたしが大量の活字を持ち運ぶのはそれら情報にどこか拡散を繋ぎ止めておきたいからだと思いました。誰にも気を遣えませんでした。

 最初は触れにくかったかもしれません、確か。

 さきほど食べようと思ったバナナに手をつけないまま寝ることにします。