Uyo.x,x,x

kaabii, segway

231120

 『また怖がっていた。文字通り死んで怖がっていた』というメモを用意しながら家を出ました。夕方に進行方向に対し正面に風が吹いて毎度進みずらいです。日が短く、夜の早い時間でも空がずっと澄んでいるように思います。気は散るものです。それに付き合ってくれる人もきっといないはずで、役柄としてだけでもそこには直向きに扱おうと思います。願いだけを置いてその場を去るだけの動作のイメージ。瞬間的な把握についていくつかの手段を利用して溶いていくこと/タイムライン状に叙述される状況を管理して全体の構造を炙り出すこと、注意をどのように持続と発散させるかがちがうのかもしれません。複数の工程を踏むことじたいに慣れて、その手綱を握ることにさえ慣れればいいのかもしれません。これらは、誰かの話かもしれないし、自分の話かもしれません。

 好きな人の話をしている人が他の好きな人の話をしているのをみつけて、好きな人だとわかりました。友人と電話をしました。実際的な選択の問題で、わたしにはあの瞬間、どれだけ、どれだけ、そうです、どれだけ注意の持続と発散が有効に働かせることができたとしても行けなかった場所があって、自分の採った選択がもっと前提のステージで否定性からしか話せないものだったと思い出しました。博士、あなたが後ろ手に隠しているポケモンを、わたしは選べないんですか? もちろんこれは、対岸からも同じ話です。間違いなく非対称ですが、同じ否定性がそこにはあります。実存的に持つしかないのはそのちいさな恨みですが、刃の鋒を向けるのは対岸ではないはずです。いつもそれだけは誓えます。背を向け 最初からそのエリアが解放されていて羨ましいとこれもちいさく思います。わたしは最後にしかそこへ行けないはずです。一般的な選択肢を違う意味で選んでいます。これは、わたしが持っていないそれであったのなら、もうすでに全て、全て十分に完了していたこと。