Uyo.x,x,x

kaabii, segway

231019

 パフェを食べに行きました!13星座のパフェがあるお店で、わたしの誕生日は双子座でした。12星座だと蟹座なんですが。さわやかな果物がほしくて、獅子座のパフェを頼みました。またオタクのプレゼンをしました。これがなによりもうまい説明であるというのが目下の課題のひとつでもあります。それからWWWXに向かいました。今日はkassa overallとゲストの長谷川白紙のライブでした。開場を待っている間にフラガリアメモリーズという企画のキャラクターが新規公開されていました。ハンギョンというやつだったんですが、わたしがだいすきなキャラクターデザインで本当に、その場でわたしだけありえない挙動をしていました。不審で申し訳なかったです。ライブ、とても楽しくて、本当に楽しくて、隣の人が叫んだり楽しすぎたりして、たくさん笑いました。まじで9月は鬱的な状態で、それがひとつの没入を条件に解放されたのが今月に入ってからで、だから上向きの気流があるいま、今日ライブを見られて本当によかったです。さて、遡りますが、わたしは朝、友人が送ってきてくれたテキストを読んで、破滅的な危うさを感じつつ、これに賭けられたらどれだけいいだろうか、と検討していました。

(以下、メモより抜粋)———豊かさは湿度で、それは生い茂る植物、緑なのだと思った。生命力、グルーヴ、汗、湿度。やはりそれに反するのは乾いた砂、コンクリートの質感、で、それを欲動するのはなんなのだろうか?双方へ走る矢印があって、でも、わたしはその湿度をいつも出せなくて、それは、まず、実が薄いからだと思うのだ、これは果物の果汁のようなもので実を絞れば出てくるやつで、わたしは薄い薄い実で、それがない。培うのはたぶん.../...もっと肉体的なものだ、わたしには肉体の実感もない。あるとは折れた骨の、折れた信念だけだ、諦めの連続体、諦めのシーケンスでできたのが、おれ。実存ってそういうことで、「なにがすき」とかじゃないんだよ逆に。わたしにとって「なにがすき」とか外の話をした瞬間に対象が自分が投影されて(無機質なプロジェクターの光で)しまうから。なら、わたしという存在は「どこに」いるのか?誰なのか、正体、とかの本質のはなしではなく、これは「どこに」いるのか?という存在論の問題かも。今?過去?忘れた記憶?忘れていない記憶?志向性?頓挫する瞬間?.....共同体からこぼれ落ちる瞬間?....../......「なんのためにやっているのだろうか?」それを血肉にしようともせずに。自分のものになるのだと知らずに。他人から譲られた時間じゃない。自分が切り詰められる時間だ(と知らずに、わからずに)。....../......なぜ?なぜ否認するのか?名前が嫌いだから?自分が父親に似ていると聞かされるから?ずっとどうしても大きかったから?....../......なにもかも変わることなどないと経験的にわかったから?今しかなくて、今できないことがつらすぎて、未来も過去も平面的にしか捉えられないから?....../......自分が自分である誇りなどないのだずっと、なぜ?わたしはきっと十分すぎるほど愛されていたと思う、それでは、わたしが、自分も、人のことも、愛せないからかもしれない。信じられないから、かもしれない、信じることも受け入れることも諦めて全てを殺すとしたとき、その死体にも似た冷たさが自分をなぞるようで愛しかったのだ、きっと。自分のトートロジー。引き裂かれている。——(抜粋終了)——自分まで全て騙さないと変装は完成しないという話があります。