Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230912

 分が武器を吟味して披露するときと同じことが起こっているんだろうなと思います。起きた時刻は予定よりきっかり1時間遅れて示されていました。まあしかし到着したらわたしのほかに誰もいませんでした。悩んでいるよりも手をつけてしまったほうが話が早かった。けれどそれ以上の細かいレイヤーを(小数点と言われた)どうつくるかは緻密な技術だと思った。どう頑張っても達成のための枚数が足りなくて、というわけでどう頑張っても足りないとかではなくやっていくしかないのである。カーン!(襖が音を立てて閉じるアイキャッチ)襖=襖=襖(カーン!) それから働いて、帰ってきてから......梨だけたべるよと家族に伝えてから泥のように寝ていました。梨を食べていなかったのでいま持ってきます。少しお待ちください。

 自分の達成のための作業が誰にもわかられなかったらどうしようと思いますし、そこでの折り合いの作業にわたしはまだ時間がかかりそうです。そこで見ていてください。これは武器を披露するようにはいきません、どうしても。様子を伺うように恐々と ((しかし身に迫った話もあるわけで、それをしないというわけにはいきません。場所と肩書きではなく、そうなればなにを担保にわたしがいまここにいるのかというのがわからなくなる気配がしますが、もうそういった話でもないはずです、これは、繰り返すしかないです。こういうところで。)) ということで起きてから昨日の日記の確認をしてあげて、いまこれを書いている。対立する二項は流転し局面ごとの判断のみが可能になる。たとえば、演劇性が踏破された末の果てしなさの反演劇性についてを、わたしはずっと避難所として観測していた。主客の純化が極限までゆくこと、「あなたが観客だ」と客体が呼びかけ続けることで、「観客」という名の下に存在が闇に没され、同時に「観客」である居場所が露光される事態のこと。しかし先刻わかったのは、ただそれらも同じ瞬間でしかなく、いつかその場所を追われる場合さえある、という冷酷な報告ではないだろうか?それらは砂のように。空欄の動機を追って離れたペルソナを形成しないように。下手な批評にならないように〈では〉。