Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230614

 

 4時間ほど寝ていました。中世ヨーロッパでは日没後、2回に分けて睡眠をとります。わたしのこの日記は、その睡眠習慣に照らし合わせるならば「第一睡眠」と「第二睡眠」の間に書かれています。

 今まで、引っかかる出来事や存在などについて、iPhoneのメモの「日記」欄に残したり、ツイート画面に打ち込んだあと削除を逃れて下書きに残したり*1して記録していた。日記を毎日つけるようになってからば、このことは日記に書けるだろうか、と、日常の場面を判断しようとするようになった。ぼやーとして全体を夜に思い出せないと思っているところがある。わたしは日毎にそれを要約して覚えておくことが苦手なのかもしれない*2。いや、むしろ、朝から出来事とか視界とかをいちいち思い出すことはできて、でもそれを文字に起こすことは、自分が覚えている記憶のすべてを汲み取りきれないきがしてしまい、気が遠くなってしまう(しまうダブル)。でもそれも近いうち遂行しようと思う。切り取り方とか、編集の仕方とかよく言うが、どういう日記を書くかはほんとうになぜか一瞬一瞬切り替わってしまう感覚がある。わたしはうつくしい濁流になりたいのだが、知らない激流に痛覚の通っていないところで押し流されているような感じがする。記憶もわたしはどちらかというと忘れがち*3で、そしてなによりもわたしは自分の意志のことをいちばん忘れるし、誰か*4が忘れようと意図しているのだと思う。あー、やめだ!やめです! ですます調のほうが気楽にかけます!適当に敬語をつけるのはわたしにとって心地よいコミュニュケーションだからかもしれません。単語は単語だけで発したり、リアクションめいた表明は呟きのようにただ言ったりすることができるような発話のしかたのそれです。話が逸れました。話というのは逸れるしかないのかもしれません、ええ、つまりわたしも今そういう類のことを言いたいのです。わたしが書こうと思っていたことを書いた日記は、一瞬のこれ、今のこれしかありません。時間が過ぎ去ってゆく、そのいなくなる瞬間の残光だけが唯一尾をひけてここに、ひとつだけあるようです。おおいに!使う語尾ひとつで全てが変わります。なにもかも。

  もしかすると、わたしはすでに濁流だったのかもしれません*5。たとえばメモに、今日9:16のメモに「脚立 スカートの裾」というのがあります。こんなもの、わたしはこのメモを見るまで思い出しもしませんでした。また、「危なかった......(省略)......前から歩いてきた2人の影が黒くて、そしてそれを持っている水のタンクが光っていた」というメモも残されています。どちらかを基軸にしていたら今日の日記の様相は大幅に違っていたでしょう。選べる選択肢というのは本当に巨万とありますね。常にわたしはそれに対して困惑しているようです。それをよく思い出す1日、でした。背後をとられることが嫌いなのは教室の椅子に座っていたころからずっとあって、角を取ってすごしていました。そしてうろうろしていました。うろうろして、大人しくしていました。悪い1日ではなかったと思います。ピザが焼かれて、その上には付加価値ぶんのモッツァレラチーズが乗っていて、この日記のことも話しました*6

 愛するものになりたいです。ずっと未熟でごめんなさいという感情があります。食べたい料理を言っていこうというコーナーが友人たちとの会話のなかで起こり、そこでわたしは素麺が食べたいと友人に言いましたが、病人のリクエストかもしれません。今日はほとんどずっと、ドレスコーズ*7 *8 を聞いていました。「最低なともだち」のMVをみてとんでもない感情になってしまいました*9しかし......わたしは整理された(当社比)日記も書きたいです。しかし、「作家の見ているものと観客*10が見ているのは別でもいい」と今日言われたことを思い出します(しかしダブル*11)。その会話のなかで、わたしは「ツイッターのことがだいすき」と告白しました。はい。そのときの「ずっとやりつづけられるゲームの開発(やりたくなる) やりたくなること自体を開発する」というメモが手元にあります。至言です。やはりそれはなにかしらの芸術形式の確立だろうと思います。形式というと構造的な条件のイメージが強いですが、わたしが今言いたいのはそのようなものに限りません。トレンドと呼ばれるものも同じだと思います。トレンドには波がありますね。拡散したのを統合しようと常に必死に散らばった石をかきあつめるこどものよう*12

 

 

 

 

 

*1:ツイートは、幾星霜の無意識の判断によっておこなわれる。わたしは、嫌になるほど嫌に慎重だ。

*2:苦手を思案してくよくよするの、悪い癖だよ

*3:自分がしたこと、言ったこと、について、記録を見返したものでないかぎり、極めて覚えておくのが苦手、なのだと思う。忘れてしまったところの空白の輪郭をなぞるのは大変な作業だ。わたしといつも話してくれる友人がわたしのことを思い出して話してくれるとき、いつも更地のわたしだ、と感じる。

*4:限りなくわたしです

*5:そろそろ昨日と今日の日記に関しての反省が始まりました。日々の記録という大前提からあまりに高度をとっているという点がやはり懸念点です。

*6:


*7:愛しています。とりあえず「この悪魔め」をタンバリンを使いながらパフォーマンスできるようになっておきたいと思います。

*8:愛していますというのを軽率に、というよりも、美しく言える人でありたいです。

*9:好きなものを言って、自分の紹介も交えながら好きなものを紹介する、という文章の形式を思い出しました。レポートとよく言われますよね。不思議です。

*10:観賞者と実際には。

*11:変な文章を許さないという感情と、変な文章は変でおもしろいという感情の二つは共存しています。すこしだけ後者のほうが優勢です。

*12: