Uyo.x,x,x

kaabii, segway

231014

 昨日の夜はどうしても眠れず、音楽を小さな音でかけていて、起きたらジュディマリのそばかすが再生されていました。家を出て、電車で移動している最中には鉛筆を握っていました。ただその状況を記録したくて書いたメモがいくつか残っています。「座席がすごい縦に揺れる」——今考えるとそれは縦ではなく前後の平面的な揺れなのですが、電車の移動方向を横、そして前後としてそれに垂直「縦」だと思ったんだなとわかります。「早稲田で降りた」——隣に座っていた人についてです。

 トピックが小袋に詰められた駄菓子のようにうまくまとまっていて見事だと思いました。同時に、それをさっさと分類し裁断する人の手腕に(いつものことですが)慄いたし、(また)よくわからなくなりました。それと現状の最適の振る舞いのために、心情よりもある種の正義によって判断をおこなって行動していることがわかって、変、かつ、力がありあまっていておそろしい、と(また)感じました。楽しかったです。行ってよかったです。しゃりもにグミのソーダ味を購入しました。かなり、すごかった。ヨーグルト味もおいしいですが、ソーダのほうが奇跡っぽい感じがあります。それから、昨日からずっと、砂場で遊んでる感覚が続いています。これはかなり久しぶりの再来で、状態じたいに対して懐かしい気持ちにもなっています。判断が抜け落ちてすべて連結のために考えを巡らす状況でもあると思います。

 9月の中旬にしくじった日からずっと親との間の居心地が悪く、かなしくつらいです。受け売りの概観を揶揄として披露されるたびに、それが浅い考察による誤解だと否定したいですが、披露される瞬間のつらさと、否定しようとするときに退屈な反抗として相手に映るつらさと、そのやりとりごとに門前で消耗するエネルギーと、気分が悪くなる道筋ばかりがあります。そう思うと.............パニックめいてきたので中断します。しかし、まるで深さのない、平面的な空間に人のことを閉じ込めようとして一体なにがしたいんだ......覚えてろよ,  存在論......「現実感」を要求する、のは、むしろあまりに不毛な虚構に加担することを勧めるもので、おそろしく権威的だと思います。さようなら さようなら