Uyo.x,x,x

kaabii, segway

230104

 最近やっていなかったことをやる日でした。手遊びの快楽がありました。醒めすぎるというのも怖いはずです。ですので、怖いことをしましょう。そう、昔のことをたくさんやったので、昔のこともたくさん思い出しました。夕方になると、わたしは練習しようと動いていて、それは昔の習慣だったので懐かしかったです。練習では、息を忘れたり、体温が上がったり、美しい目眩がしたりします。ちょうど空が暗くなる時刻なので、練習が終わった時に日の長さを覚えるのです。今日はその黄昏のあいだ光が少ない場所で視界をうつしていました。それを灯りの下で見返すとものすごく荒くて、なるほど荒さとは暗さだとわかりました。短い時間でターボのように判断を回す制作を久しぶりにやりました。それから、次に手に入れる眼鏡は縁なしがいいです。キャラクタライズのための操作、判断の快楽は楽しかったけれどあまり楽しくはなくて、こういってよければ創造性がないと感じました。この退屈さについての暫定の解答は「この行為では、ある一局面をうつしたにすぎないから」、です。最初から発散ゆえに描かれたキャラクターです。キャラクターとは、いくつも情報が束になって織られたり、連続して網膜にうつる効果をもつことで、キャラクターはアニメーションたるのでしょう。絵は、線でできることがあまりに少ないし、文字は、言葉で言えることがあまりに多いです。これは場合によって逆転する関係ではなく、どの局面にいるかによって捉え方が変わる、ということだけです、線はいつでも存在しない輪郭のその線をつくりだすし、文字はそもそも存在しないものの借り物です。夢に同じ人が2日連続でいるはずなのに、どういたかを思い出せません。欲望が同じだと気がついて、悔しかったです。ただ、友達になりたいと思いました。2人とも、頼みます、それでは、よろしくお願いします。